休止から約一年、メンバーの予定の折り合いがついた爆殺は久しぶりに地元のライブハウスでステージに立つ機会を得た。音楽から遠ざかり、文字どおり休止していた上、ロクな打ち合わせもないままの復帰第一戦は散々なものだった。この一年で個々のメンバーの音楽嗜好もさらにガラリと変わってしまっていたのも原因だった。かといって、昔のようにガムシャラなスタイルへの回帰を図ったところで「今」の自分達に当時の雰囲気を完全再現できるわけもなかった。バンドはこのとき、完全に方向性を失っていた。

この事態を打破するために、多くのジャンルに対応するだけの音楽的技術、すなわち音楽的な表現力の大幅なアップを図る必要があると悟ったメンバーは、積極的に周囲のアマバンのライブに足を運んで、実戦的な技術を吸収していった。そして音楽性の開拓、さらなるエンターテイメントの追求のために、爆殺は正式にもう1人のギタリストを加入して活動することを決定したのだった。

この任に白羽の矢が立ったのは、大学のサークルでアナーキーとともにバンドを組んでいたコブラという男だった。60〜70年代のロックをこよなく愛す彼のプレイスタイルは、すぐに爆殺のスタイルにマッチし、バンドが進むべき新たな道をも示していた。

さらにコブラの加入は爆殺の活動範囲の拡大をもたらした。札幌近郊の多くのバンドと交流のあったコブラの人脈によって爆殺はついに自分達主催の対バンを企画することができた。記念すべき第1回の「爆フェスト」で新生爆殺は華々しく復活をとげた。かつての勢いそのままに、エンターテイメント性が強力に加えられた爆殺のショウは、今後のさらなる飛躍を予感させるに十分なものだった。この時点でドラムの引退宣言を表明したボーンが脱退し、これまたサークルでアナーキー、コブラとともにバンドを組んだことのあるカンが正式に加入する。こうしてアナーキー、クーデター、カンフー、コブラ、カンの全く嗜好の異なる五人が、ロックエンターテイメントを追求すべく『爆殺』の名の下に集結し、決意を新たにしたのだった。
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